取締役からのメッセージ
 私は、大学では土木工学を専攻しました。当時(1970年前半)は日本列島改造論の時代で、建築・土木関係がすごく注目されていたからです。3年生で卒業に必要な単位はすべて取り、4年生からは外部の研究所で勉強させてもらいました。卒業後は中堅ゼネコンで土木の仕事に従事し、10年ほど経ってようやく現場を任されるようになった矢先に、中央鐵骨に転職することとなりました。先々代が私の父でしたが、当社は同族経営ではありません。息子は会社に入れないということでしたが、私たちの年代は人が少ないということで当社に入ることになりました。

 当社に入った頃は、前の仕事との大きなギャップを感じました。建築の精度だと0.1ミリ単位まで計りますが、土木はそこまでの精度は要求されませんでした。また、ゼネコンでは現場主任としてひとつの現場を任され、自分のハンコひとつで発注できました。そういう立場から今度は受注する立場となり、大きなギャップを感じました。

 社長になった当時はバブル崩壊後の「失われた20年」と呼ばれる低成長期で、赤字が続いていて同業者も大変苦労されていました。当社は長い間、設備投資を最小限に控えてきました。そのため、機械も建物も古くなり、当然効率も悪くなるという状態でした。社長就任時には思い切って投資をして生産効率を上げる計画を作り、工場の改築や機械の入替え・購入、土地の購入を行いました。
また、社長を受けるからには決意しなければと思い「社長を引き受けるが3年間で黒字化できなかったら会社を閉めることも考える」と役員・管理職の方々に宣言しました。
3年という目標を立てて2年目に、わずかですが黒字を計上することができました。営業業務もやっていた為仕事量が増えるタイミングも把握でき、「このままではせっかく仕事が増えてもこなせない」という見通しもつきました。
また、工場にいる人達にも「社長は本気だな」と思ってもらえたようです。その後のリーマンショックの時も、3年をめどに今までやってきたことを切り替えて何とか乗り切ってまいりました。

 私は「朝令暮改」は、多いに結構と思っています。決断を早くして指示を出す。それが間違っていれば即、過ちを認めて直せばいいという思いがあります。もう一つは、これもいい意味で使われていませんが「棚からぼた餅」という言葉も好きです。普通はただ安穏として待っているだけ、という悪い意味で使われますが、「ぼた餅」が落ちてきそうな「棚」を見極める。落ちそうな棚を見つけるために広く多くの情報を収集する。そして決断を早くするという姿勢が好きです。経営指針7カ条にもありますが、 「アンテナは出来るだけ多く立て 情報収集。」「朝令暮改大いに結構 決断の早さが選択肢を増やす。」が大切だと思っています。

 最近の若者の傾向として、ある状態で満足して高みを望まないように見えます。若者には常に夢を持ってほしいと願っています。私は新卒でゼネコンに入社した時に「将来、社長になります。」と言いました。そこは同族会社だったので無理なのですが、夢を大きく持つという意味で大宣言をして、先輩には大いに笑われました。しかし、誰もがそれぐらいの夢を持って欲しい。当社は同族経営ではないので、やれる者なら誰でも社長になれるのだ、と皆に言っています。
これから入社される人たちにもそう言いたいし、一緒に夢を持ってその実現のために頑張りましょう。 あとは「とにかく、間違ってもいいから、でかい声を出して!」というのですが、なかなかそうならない。そういう私も最初はしゃべるのが苦手でしたが、社会人になり現場に出るようになってからずいぶん変わりました。社内でも上にいった人ほど声がでかいですよ。 さあ、夢を持って、でかい声で、当社で活躍してくださることを期待しています。


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